日米の懸け橋に 〜マーク・バートンその②〜

ALLDAYとの出会いで活動が加速する

markallday2 のコピー 1つの転機となったのは、代々木公園で開催されているALLLDAYというストリー トバスケットボールの大会であった。日本人とのハーフである自分の息子を米軍基地内の体育館で指導する日々を送る中で、息子がメキメキとバスケットの実力を伸ばしていく。自身が学んできたことや、指導スタイルに一定の手応えを持つと同時に、日本人選手を指導できないジレンマを抱えることとなるのだが、上達していく息子の姿を見た基地内のバスケットボール競技者から「チームのコーチをしてほしい」というオファーを受ける。それが「Team YOKOTA」であり、「Hennessy」「Team YOKOSUKA」というチームとの関わりへと繋がる。それまでも基地内のバスケットマンとは幅広い関係を持っていたが、何よりも、日本との関係性を構築していく上でALLDAYに参加している選手との関係が深くなることが非常に有益であった。

閉ざされていたと感じていた日本のバスケット界にあって、全てのプレイヤーを対象としたALLDAYは、国籍、所属連盟、年齢、地域を越えて参加者が集う。非常に開かれた大会だ。この大会に出場する中で日本人の仲間も増えた。

「あの大会でプレーをしているとき、参加選手は、NBA選手と同じような素晴らしい観客、歓声の中でプレイできる。日本での生活の中でも特別な週末だった」と初参戦のALLDAYの感想を語る。

これまでも、米軍基地内の子どもを対象として、米国内からNCAAのコーチを招いてクリニックを実施していたが、日本人の選手はほとんどいなかった。だが、 ALLDAYでの対戦チームなどからバートン氏の活動を知り、対戦選手の知人、友人の息子など、日本人の少年少女も参加するようになった。以前には米国の大学でコーチを務める人間や、プロのコーチなど10名ほどが来日してクリニックを開催し、日本人選手も参加した(最大で6人ほどであり、まだまだ日本人の参加は少ない)

個人スキルと実践を考慮したクリニック

「クリニックでは8時から14時まではドリブル、パス、シュートなど、バスケットに必要なスキルを学べるステーションドリルが実施されます。もちろん、それぞれのステーションでコーチが選手をサポートします。その後、ハンドリン グ、シュート、フットワーク、意欲(例えば、どれだけハングリーに取り組んでいたか、どれだけ質問をしたかなど)についてフィードバックが選手に伝えられます」。

「14時から17時まではピックアップゲームが行われ、ゲームの中で学んだスキルを試せるようにスケジュールが組まれています。チームワークを尊重する中で、どれだけ自分のスキルを表現できるかなどもコーチによって評価されます」。

クリニックの特徴は、個人スキルの向上と実践する機会の提供。同時に、ただ単に選手にやらせるのではなく、的確なフィードバックもなされているなどきめ細かい。コーチの「作品・ブランド」という中でこそ学べることもあるが、基礎から応用までの個人スキルの充実と、自らと同じようにバスケットに情熱を注ぐ選手とピックアップゲームを通じて互いを理解し、即席チームの中でスタイルを築き上げるプロセスだからこそ学べる事もある。どちらが良い悪いではなく、可能性に満ちた子どもにはどちらも必要な機会なのだと強く思う。

参加コーチの中には、NCAAの名門であるUCLA大学のアシスタントコーチもいる。日本の本州、沖縄、韓国の各米軍基地の子どもたちやインターナショナルスクールの子どもたちを対象に行ったキャンプでアジアを回っている時の一コマである。

clinic2.markjpg沖縄の米軍基地に従事する別のコーチが、横田基地にバスケットの大会で来た際、本州でも沖縄と同様のキャンプを開催できるように段取りを進めたようだ。 UCLAのコーチをトップに据え、バートン氏自身はアシスタントとしての立場で諸々の調整を実施。2人でアメリカの大学のコーチを海外に派遣してくれる組織 とコンタクトを続け、毎回のキャンプの度に数名のコーチが来日してくれる体制が出来た。

バートン氏にも最初からこのようなコネクションがあったわけではなく、「NCAAのバスケットボールコーチなどとコネクションを持つ友人がいたこと」が始まりだという。機を見て構想し、提案し、着々と実現に向けて動き出す。日米の懸け橋になりたいという明確なビジョンがあるからこそ実現できる行動であろう。行動基準が明確なので、アクションや決断が速い。そして、自らのビジョンや想いを伝える中で、徐々に賛同者が集まるようになった。

「なぜ、何人ものコーチを日本に連れてくることが出来たかと言われると、最終的には『日本のキッズに良い機会を与えたい』という情熱で動いてくれたのだと思う。彼らの情熱に深く感謝している。また、日本は、 まだまだバスケットボールの世界ではマイナーな国。だからこそ、隠れた逸材が眠っている可能性がある。UCLA、デューク、ケンタッキー、ルイビルなどの有名なコーチの目に留まっていない素晴らしいダイヤモンドの原石に出会える可能性もある。日本のキッズに自分たちの知識やスタイルを伝える事で役に立ちたいという想いと共に、未知の世界での、未来へのスカウト活動も兼ねている。米国への留学を考えている選手にとってもチャンスなんだ」。

と感謝ともに語る。事実、過去には米国の大学に留学した選手もいるようだ。

バスケが危険な世界から抜け出すためのチケットだった

さて、そもそも何故バートン氏は忙しい職務の傍ら、日米の子どもに対してバスケットボールの学びの場を創出しようと情熱を注ぐのか。活動の源泉には自らの幼少期の体験にあった。「シカゴの中でも危険な地域」と言われる地区で育ったバートン氏は、12歳にして地元のギャングチームとの関わり合いを持つようになる。その地域では「Killing is part of life」と語られ、自宅の隣などで殺人が起きたこともあるような、非常に荒れた地域であった。

希望がないからチャンスを掴めないのか、チャンスがないから希望を持てないのか、その順番は定かではない。先日、76ersで永久欠番として背番号3が認定されたアレン・アイバーソンは「夢は実現しないなんて俺の前で言うのは馬鹿げている。夢は叶うんだ」とセレモニー内で力強く語った。彼もまた、貧しい地区の出身と言われるが、残念ながら彼のように成功を成し遂げた人ばかりではない。夢に向かって努力を重ねる前に、人生に絶望を感じて、犯罪に走る人もいる。バートン氏の話に戻すと、彼自身もそのような状況で日々を過ごし、喧嘩や窃盗に手を染め始めていた。

だがそのとき、バートン氏の目の前にはバスケットボールがあり、人よりも上手くプレイができるという幸運に恵まれた。

「バスケットボールが上手くプレイできるということが、自分に多くのチャンスを与えてくれました。学校に通う機会も得られたし、バスケットを通じて多くの事ことを学ぶと同時に、学業でも多くのことを学べべたのです。また自分がバスケットボールでチャンスが掴めそうだと分かると、ギャングの友達も自分を応援してくれました。チームを抜けることを阻むわけではなく、快く送り出してくれました。もしあのまま、12歳以降もギャングの世界にいたら、もっと大きな争いや、もっと危険な世界に足を踏み入れていたかもしれません。

その後、高校を経て大学に進学するチャンスも得て、心理学を学ぶとともに競技を続けました。自分は小柄でしたが、 その分スピードを活かしたプレイで活躍することができました。プロの選手にはなれませんでしたが、少年の頃には夢にも思えなかった素敵な世界を生きていくことができたのです。バスケットボールは、自分にとって危険な世界から離れ、人生を渡り歩いていくチケットのような存在だったのです」。

自らの生い立ちの中でそうした経験をしたからこそ、バスケットボールへの想いは人一倍に強い。人生のチケットであったと同時に、「スポーツは人々を繋げる力がある」と語る。「中国、韓国、フィリピンにもバスケットボールを通じて友人ができました。今度、家族と一緒に友人の家に遊びに行く予定なんです」と無邪気に語る姿がとても印象深い。

チケットを日本の選手につなぐために

このように日米の各機関と提携関係を築き、活動がさらに大きくなるタイミングであったが、非常に残念なことにバートン氏一家はユタへと異動が決まり、2014年6月末には日本を離れることが決まっている。だが、異動と共に日本との関係がなくなることは毛頭も考えていないようだ。むしろ、ユタでのバスケットボールでの活動を、日本とのコネクションや日本人選手へのチャンスに拡げようとするアイディアを持っている。

「私は、仕事のキャリアの最後は日本で迎えたいと思っています。先ほども言いいましたが、日本のリズムが好きなんです。そして、日本のバスケットを世界の中でも高いレベルに引き上げることに貢献したいと強く思っています。日本のトップリーグの試合を自宅でノンビリと観るの、生来の楽しみの一つなのです。もちろんトップリーグだけではなく、大学も、その下の世代の試合も見たいですね。それぞれのカテゴリーのレベルが世界の中で高い水準であれば最高ですし、その一端に貢献したいと強く思っています」。

そのための継続的な活動の一環として、前回説明したWorld Star Basketball Academy主催にて、横田基地内でのバスケットボールトライアウトを開催予定である。意欲があり、最低限のレベルを超えていると判断された選手には、選手の希望や諸々の状況の話し合いを重ねた上で、ホームステイなどのチャンスを提供し、留学を希望する選手には留学の実現に向けての段取りを共に考える、というプログラムを用意している。

「今後、米国に留学したい少年少女の入り口の一つになりたいと思っているのです。同時に、短期の期間だとしても、米国のバスケットに挑戦したいと考えている成人プレイヤーもサポートしたいと考えています。彼らのような世代が異国のバスケットを学び、帰国し、自分の経験を周囲に伝える。それにより、新しい発見をする選手もいるでしょうし、新しい世界が拡がることもあるはずです。 そういうことの積み重ねが大切なんです」。

HOOP DREAMトライアウト詳細

我こそはと思う選手は、是非積極的に扉を叩いてほしい。

  1. 日時:2014年6月8日 11:00~13:00
  2. 場所:米軍横田基地(東京都福生市 最寄駅JR福生駅徒歩10分)
  3. 参加規程
    A:12~14歳
    B:15~17歳
    C:18-22歳
    ※定員各10名ずつ
  4. 参加費用:1,000円
  5. 申込み方法:下記WEBより必要事項を添えてお問い合わせください。
    http://wsbacademy.wix.com/official#!event/c6v5

詳細(UPSETのHP内のブログにて)
http://www.upset-emg.com/blog/2014/05/post-49.php

私の一番のゴールは、日本バスケのレベルをアメリカやヨーロッパと同じレベルに持っていくことです。日本には、しっかりとトレーニングをしていけばビッグになれるプレイヤー、すごい才能を秘めたプレイヤーがたくさんいます。これからトレーニングをして日本のバスケットレベルを刺激していけば、他の国と同じレベルになれると思っています。アメリカ、アジア、ヨーロッパのバスケの橋渡しをすることが私の目標なのです。それを成し遂げるまで、私の挑戦は止まりません。

-マーク・バートン

インターナショナルスクールに所属する選手について

現在バートン氏には、インターナショナルスクールに通い、バスケットボールに励む16歳の子どもがいる。ALLDAY(チーム Hennessy)にも出場実績があり、大人の中に混ざっても遜色のないプレイをすることで注目を集めている。先日もAND1チームが来日した際の試合に参加した(動画も録画されているが関係者のみの限定公開中)。

写真右が息子のバートン・ジュニア
写真右が息子のバートン・ジュニア

これまで、所属する地域の選抜チームなどに選出されるべく奮闘してきたが、インターナショナルスクール所属ということもあり、国内ではチャンスが限られてきたという苦い経験も持っている。そのため9月からは米国の高校に転校し、大学でさらに高いレベルのバスケットボールに挑戦し、NBA選手になるという夢を公言し情熱を注いでいる。それと同時に、 日本代表選手になることも夢の1つとして掲げている。生まれ故郷のために戦うこと、さらには、自分と同じような境遇にいる選手、インターナショナルスクール出身の選手にとっても希望の1つとなることを目標に、日々鍛練を続けている。

バートン氏の実現したいことの1つとして、インターナショナルスクールと日本の中高生の部活動の対戦回数をもっと増やしたいという考えがあるようだ。インターナショナルスクールにはシーズンがあり、日本の部活動とはタイミングが合わせにくい部分もあると思うが、異なるスタイルのバスケットを経験することは互いに大きな財産になると信じており、そのための協力や紹介も積極的に進めたいという意向を持っているようだ。大きな野望から草の根の細部に至るまで思いを巡らし、自分ができることを探し続け、具体的なアクションを進める。日米の懸け橋になろうと活動するバートン氏。こうした草の根の一つひとつが重なりあうことで、日本バスケ界に明るい将来がやってくることを切に願っている。

この記事の著者

片岡 秀一ゴールドスタンダード・ラボ特別編集員
1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。

宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。