「『風姿花伝』に学べ!」~其ノ弐 「初心忘るべからず」編~ 塚本鋼平氏の投稿より ②

「『風姿花伝』に学べ!」 ~其ノ壱 「年代別指導指針」編~ 塚本鋼平氏の投稿より」の続編である。今回は「初心忘るべからず」を副題としている。

前回の記事で紹介されたのは、年代別の指導についての能の世界での基本的な考えと塚本氏の分析である。日本バスケットボール協会でも、同協会が選手育成指針として公開している「Basketball for Life(B4L)」の冊子(リンク先下部)の中にも、LTAD(Long-Term Athlete Development:長期選手育成)の考え方がある。選手の年齢等に応じ、下記の6段階に分類され、その段階に応じて、コーチが選手に示すべき重要な項目が示されている。また、バスケットボール界ではコーディネーショントレーニング等も有名な為、「その世代の内に取り組んでおかなければならない事」という意味でも、LTADモデル等を指導者が把握することは大切だろう。

第一段階:FUN damental 競技を楽しむことから伝える
第二段階:Learn training トレーニングする事を学ぶ
第三段階:Train to Train 鍛え方を学ぶ
第四段階:Competition 勝つ事を求める段階に入る(Learn to win)
第五段階:Professional 勝つためのトレーニングをするという段階(Train to win)
第六段階:Retire 競技からの引退。引退からの再構築。

今回の記事では、上記システムの中でいう、、第4段階(Competition)から第5段階(Professional)へと差し掛かる時期であろうか。

「Passionではなく、Enthusiasm。何かに憑りつかれた状態で、『夜明けが待ち遠しい』ほどの情熱。Hard Workでは不十分でIndustriousness!」と、John Woodenの成功のピラミッドや、能代工業高校バスケ部を率いた故・加藤廣志氏から学びを胸に、常日頃から熱く語る(語らずとも、全身から滲み出ている)塚本鋼平氏の分析を下記に記す。

1、「『風姿花伝』に学べ!」~其ノ弐 「初心忘るべからず」編~

約620年前に世阿弥は『風姿花伝』の他に、能の書き方の秘訣を解き明かした『能作書』と40代〜60代までの熟慮の成果を集約した『花鏡』があります。これらの本から能楽論に触れながらバスケットボールの、特に指導論を考えてみましょう。

★『風姿花伝』第一章 「年来稽古条々」24歳〜25歳
“されば 時分の花をまことの花と知る心が 真実の花になほ遠ざかる心なり”
この年頃になれば、若さゆえに賞賛されたり、注目を浴びたりすることがあります。ここで勘違いをしてはいけないのは、物珍しさや若さへの期待が魅力で、そういった状況を作り出しているということです。すなわち、まだまだかりそめの魅力であり、本物の実力ではないのです。したがって、この年代で注目を浴びたからといって「時分の花」と自覚し、しっかりと謙虚に勉強しなければ「真実の花」から遠ざかり、花は消え失せてしまいかねないのです。(単純に言えば、いい気になってしまうと終わるよ!ってことです。天狗になるなんて「10年早いわ!」ってな感じですね)

“初心と申すは この頃のことなり 公案して思ふべし”
24歳〜25歳の賞賛は「時分の花」だと自覚し、改めて自分の未熟さに気づき、謙虚に勉強し、内政熟慮し、さらに修練を積むことこそが肝心です。先輩や師匠に質問をして自分を磨き上げなければ「まことの花」にはなりません。まさにここが「初心」なのです。
さて「初心忘るべからず」という言葉は世阿弥の言葉なのですが、一般的には「初めの志を忘れてはいけない」という意味で理解されていると思います。これは間違いではないのですが、世阿弥は『花鏡』の中で、初心は3つあると言っています。
①是非初心不可忘…若い頃の未熟な芸を忘れなければ、そこから向上した今の芸も正しく認識できる(若年の壁)
→一時的な賞賛の声に対してのぼせ上がることなく、改めて自分の未熟さに気づき、謙虚に勉強し、さらに修練を積むことで、どのように壁を乗り越えていくかが「初心」となります。
②時々初心不可忘…年盛りから老後に至るまでの各段階で年相応の芸を学んだ、それぞれの初めての境地を覚えていることにより、幅広い芸が可能になる(中年の壁)
→世阿弥は、30代半ばで頂点になれない人には、それ以上はない!と厳しいことを言っています。しかし、トップになれない人の方が多いので、このときにどう工夫して壁を乗り越えていくかが「初心」となります。
③老後初心不可忘…老後にさえふさわしい芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに限りない芸の向上を目指すこと(老年の壁)
→「心も体も若くいましょう」ということではありません。年齢を重ねることで迎える生理的限界を含んだ壁をどう乗り越えていくかが「初心」となります。

世阿弥が言う3つの初心とは、今まで体験したことのない新しい事態に対応する時の方法、試練を乗り越えていくときの戦略や心構えだと言えるでしょう。そのような試練を、自分で工夫して乗り越えようとする、そのときの戦略を忘れずにいるということです。年齢に応じて壁にぶつかるけれども、それを超えていくための何かを発見しなさいということなのです。

私がコーチとして初めて公式戦で勝利したのは25歳のとき、高校の定時制課程の県総体でした。当時は同じ校舎内にある全日制課程のチームと定時制課程のチームを同時に指導していました。定時制課程の選手たちは、夕方からの授業となりますが、それまではそれぞれが仕事をしていました。

18:00までに給食を食べ、それから授業を受けて、バスケットボールをしていました。たくさんの笑顔をもらいましたが、体力的には限界だったと思います。当時も心から選手たちを尊敬していました。部活動の時間になると、塚本を倒そうぜ!塚本のいるチームには絶対に負けない!と毎日のように向かってくる中で、少しずつ互いに信頼しあっていったと思います(はじめはストレッチすら拒否されたんですけどね。。。)。

髪型こそライオンのような色とスタイルでしたが、もう一つのインターハイがかかった県大会1回戦。残り1分半で8点を逆転して勝利したすごい試合となりました。試合後に「初めて一生懸命がんばって、結果が出た」と泣きながら抱きついてきた選手。

「先生のおかげだ、、、」と涙目でしみじみに話してくれた一番やんちゃな最年長の選手。あのときの感動は今でも忘れません。全ては曇りのない美しい思い出です。その後は準決勝まで進みましたが、結果3位でした。

これで優勝して全国大会に出場していたら、私が選手を育てた、チームを作ったと天狗になっていたんだろうなぁ〜と思います。これが私の初心なのかもしれません。もっといいチームを、もっといい選手を育成するためにはどうしたらいいのだろうと深く考えるようになりました。そして昨日に投稿した女子日本代表の「仙台の奇跡」。自分に未熟さしか感じず、謙虚に勉強し、修練を積むことに必死でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【閑話休題②】
私がバスケットボールを続けて来た中で人生を変えるほどの衝撃を受けたいくつか試合があります。
☆1991年 第4回能代カップ 能代工業高校vs北陸高校
この試合は能代工業高校の旧体育館で行われました。2000人くらいが体育館に隙間なくびっしりと入場していたと思います。実はこの試合の後に私が所属する藤里中学校が交流試合をさせてもらいました。
この試合は本当に衝撃的で3つの初めてを同時に与えてくれました。
①初めて能代工業高校が負ける試合を見ました。
②初めて両チームが100点を超える試合を見ました。(スコアを忘れてしまいました🙇‍♂️)
③初めて2mを超える選手を間近で見ました。
能代工業高校には、小納真樹選手、小納真良選手、大場清悦選手、里崎智之選手
北陸高校には、納谷幸二選手、庄司和広選手、田名部淳一選手、宋燕忻選手
この試合が終わった後、一挙に人は消え、観客は20人くらいに減ったことを覚えています。。。
改めて、能代市・山本郡という地域に生まれてバスケットボールができたことに心から感謝しております。

明日は「『風姿花伝』に学べ!」~其ノ参 「珍しきが花」編~をお送りいたします。
何とぞよろしくお願いいたします。

参考文献:
世阿弥(2009)『風姿花伝・三道』(角川ソフィア文庫)竹本幹夫訳 角川学芸出版
世阿弥(2012)『風姿花伝・花鏡』 (タチバナ教養文庫)小西甚一訳 たちばな出版
土屋惠一郎(2015)『世阿弥 風姿花伝』(NHK「100分de名著」ブックス) NHK出版
林望(2018)『すらすら読める風姿花伝』(講談社+α文庫)講談社
世阿弥(2019)『風姿花伝 創造とイノベーション』 (今こそ名著 コンテンポラリー・クラシックス) 道添進編訳 日本能率協会マネジメントセンタ

2、筆者の学び

A,文中に「世阿弥が言う3つの初心とは、今まで体験したことのない新しい事態に対応する時の方法、試練を乗り越えていくときの戦略や心構えだと言えるでしょう。そのような試練を、自分で工夫して乗り越えようとする、そのときの戦略を忘れずにいるということです。年齢に応じて壁にぶつかるけれども、それを超えていくための何かを発見しなさいということなのです。」とある。

筆者は、B.LEAGUE COACHING SESSHIONや、JBAコーチカンファレンス等で伺った話を着想した。

①第10回 B.LEAGUE COACHING SESSHIONに登壇された豪NBLのマイク・ケリー氏(前年度の豪NBLコーチオブザイヤー)は「練習の組み立ての順番」について、下記のようにご自身のスタイルを紹介していた。

・まず、基本的なコンセプトを伝える。Ball Screenであれば、基本的な構造やスペーシングについて伝える。

・その上で、まずは選手に実際にやってもらう時間を設ける。当然、選手はミスをする。しかし最初に提示をしたコンセプトに沿って解決策を考えてもらう。当然、必要とあらばアドバイスもする。

・さらに、次のステップに進む際の必要なスキルや細かな部分について詳細を説明する。ただし、全てを練習するのではなく、各自の自主練習等の時間で習得してもらう。育成世代であれば、自宅や、家の前で練習をする際に自学自習できるような状態にする。

上記のようにスキルを習得する習慣があれば、大人になってからも、『新しい事態に対応する時の方法、試練を乗り越えていくときの戦略や心構え』の資質を育む習慣になるのではないか。各世代や、LTADモデルの各段階での指導者側のアプローチ方法や選手が経験してきた時間の堆積は、その後の競技人生にも大きな影響を与える。

 

②2020年JBAコーチカンファレンスで登壇された鈴木良和氏は(JBA技術委員会指導者養成部会・ユース育成部会)は、「Basketball for Life(B4L)」の冊子9より『育成マインド』『勝利至上主義でも、育成至上主義でもなく、勝利主義・育成主義』『オーナーシップ(自分自身で責任を持つ・主体性)を育む』というコンセプトを説明する中で「課題を与えるコーチング」について述べていた。これまでの「できない子供を出来るようにしてあげる」スタイルから「できない子供が出来るように課題を与えていく」というスタイルを提唱していた。指導者の課題に対し、選手が思考を繰り返し、課題解決能力を高め、結果的に技術習得も目指すというアプローチである。

バスケットボールは局面が常に変わり、お互いに相手の戦術を潰そうとする動きの応酬。時々刻々と移り変わるバスケットボールという競技特性の中で、勝利を掴む為にも必要な資質であるという事である。

B、

文中に『「時分の花」を「まことの花」にする為の方法は一つではない。自分自身で見つけないといけない。「改めて自分の未熟さに気づき、謙虚に勉強し、内政熟慮し、さらに修練を積むことこそが肝心です。先輩や師匠に質問をして自分を磨き上げなければならない』とある。これは、非常に難しい事で、困難が伴う事であると分かる。

第11回 B.LEAGUE COACHING SESSHIONに登壇されたマリーナ・マルコヴィッチ氏(WJBLデンソーアイリスHC/セルビア女子代表のHC)は、「競技力と人間力は密接な関係性がある。人間力が高い選手が競技力も高めていける」と語る。そのアプローチの1つとして「有名な俳優に会いに行く機会を設ける事もある」と語っていた。

その理由は、「一流の人間の振る舞いに触れることで、魅力のある人間性について実感と共に考える事が出来る為」であるという。同じく、「時分の花」を「まことの花」にする為の基礎を育む為にも、育成世代の中で様々な経験を積んでおくことが必要となるのだろう。

また、Individual Compromiseという言葉と共に、「選手と共に生きる」事をコーチング哲学として大切にされていると語っていた。

「スキル、戦術を体育館で教えるだけではコーチの役割は務まらない。私は、練習が終わり、では、バイバイというスタイルが好きではない。コーチと選手は、同じ場所で、同じ時を過ごし、人生を共にしている存在だ。コート内外でコミュニケーションを取り、選手と向き合う事を大切にしています。日本のコーチの方にも大切にしてほしい」
(ただし、厳しく接するし、間違っているプレーは修正もする。大事だと思う事は反復させる事がご自身のコーチとしてのスタイルだとも語っています)

「時分の花」を「まことの花」にする道のりは険しい。方法も一つではない。究極的には、自分自身で見つけないといけない。しかし、コーチとして選手に接する際、その手助けをできるように知識を磨いていきたいと学んだ。

3、参考

「Enthusiasm、Industriousness、そしてCompetitive Greatness!!」塚本鋼平氏の講演レポート

「指導者が元気になれば、日本は必ず元気になる!」B.LEAGUE COACHING SESSIONに込められた想い

 

この記事の著者

片岡 秀一ゴールドスタンダード・ラボ特別編集員
1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。

宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。