日米の懸け橋に 〜マーク・バートンその①〜
今回は少し趣向を代えて、ある人物の活動に迫ってみたいと思います。 マーク・バートン(Mark Burton)氏は、バスケットボールを通じて日本とアメリカの架け橋となるべく活動をされています。バートン氏の活動に迫る前に、FIBAからJBAへの是正勧告など、日本を取り巻く現状について、書かずにはいられませんでした。少し長くなりましたので時間のあるときにごゆっくりご覧ください。
日本代表が東京オリンピックに出られない!?
2020年東京五輪に向けて、日本バスケットボール協会(JBA)に対する国際バスケットボール連盟(FIBA)の働きかけが本格化してきた。FIBAが問題視しているのは、国内に2つのリーグ戦が存在していることであり、リーグの一元化を要求されているのだ。報道によると、2014年10月までに一元化への見通しが立たない場合、男子代表だけではなく、女子代表やアンダーカテゴリー、新規に発足した3×3代表チームなど、全ての活動においての出場停止処分を検討しているという。 国際競技連盟(IF)が国内競技連盟(NF)に対して制裁を加えようとしたケースは過去にある。
国際サッカー連盟(FIFA)は、元日本代表監督であるイビチャ・オシム監督の母国であるボスニア・ヘルツェゴビナに対し、ワールドカップ予選など、FIFAの管轄で開催される国際大会参加を制限する制裁を加えようとした経緯がある。 ボスニア・ヘルツェゴビナでは古くから内戦が絶えないが、それは3つの民族が1つの国家に存在することが大きな要因とされている。それはサッカーの世界でも同様で、ムスリム系、クロアチア系、セルビア系の3民族で、それぞれがサッカー協会を擁立する体制が取られている。その体制をFIFAが問題視し、一本化を要求。猶予期間は1ヵ月半。一本化への見通しが立たなければ、前述の「国際大会参加の制限」をするという条件を突きつけた。それはすなわち、W杯の予選にすら出場できないということである。 このような緊急事態を受けて正常化委員会の委員長に任命されたのがイビチャ・オシム氏である。民族間の問題を解消すべく、各民族の会長と対話を重ね、様々な困難を乗り越え、一本化に成功。ボスニア・ヘルツェゴビナはW杯予選への出場権を取り戻し、見事、予選を勝ち抜いてブラジルW杯への出場を決めた。
話を日本のバスケットボールに戻すと、JBAに残された期間は4ヵ月程。一本化には様々な障壁や問題が伴い、民族間の問題とは一味違う問題もつきまとう。バスケットボールを愛する一人ひとりが日本の未来を考え、しかるべき行動をとることが求められているのだ。 また、日韓のバスケットボールの発展に尽力されたという李相佰博士の功績を後世に伝えるべく開催されている李相佰争奪バスケットボール大会が先日開催された。結果は、日本学生選抜の3戦全敗で終了。この大会は、開催地を日韓で順番に持ちまわり、2戦勝利チームを優勝として全3戦形式で行なわれている。近年では、韓国が日本に対して勝ち越している。 スポーツライターの小永吉陽子氏(@y_takefield)のツイッターでは、「このまま日本でやっているだけでは韓国とは埋まらない差をハッキリ感じた」と日本学生チームのメンバーであった安藤誓哉(明治大学)選手のコメントが紹介された。
それでも韓国の要所を外さない戦い方、個人技量の巧さは日本よりはるか上だった。3戦目は5点差と善戦したがキャプテンの安藤誓哉は「このまま日本でやっているだけでは韓国とは埋まらない差をハッキリ感じた」とコメントした。これはA代表からもあまり聞いたことがなく、現実を見ていると感じた。 — 小永吉陽子 / Yoko Takeda (@y_takefield) 2014, 5月 19
さらに、同じくスポーツライターの宮路陽子氏(@yokomiyaji)は下記のように述べている。
外に出ないと差はわからない。そしてその差を縮めるためにも外に出ていく必要があるという意識が、もっと浸透してほしい。RT @y_takefield: 「このまま日本でやっているだけでは韓国とは埋まらない差をハッキリ感じた」とコメントした。これはA代表からもあまり聞いたことがなく — Yoko Miyaji (@yokomiyaji) 2014, 5月 19
外に出るひとつの手段は代表チームでの国際大会だけど、それだけでは年に数試合。海外に出ると言っても色々な行先や、色々な形があるわけで、まずは差を体感してほしい。そして、その体感した差を縮めるために何が必要か動いてほしい。「話があれば」という受け身の姿勢はだめ。男子も女子も。 — Yoko Miyaji (@yokomiyaji) 2014, 5月 19
去年からアメリカに出てきている渡邊雄太選手 @wacchi1013 が、今年1月に言っていた言葉(インタビュー本文は @cagerjapan に掲載)→「日本にいるときは物足りないと思ったことはなかったけれど、こっち(アメリカ)に来て、今、日本に帰ったら物足りないだろうと思う」 — Yoko Miyaji (@yokomiyaji) 2014, 5月 19
つまり、日本の同じ環境の中でしかやていなかったら、そこが物足りない環境だということにも気づかないで終わってしまうんです。東京オリンピックに出たいという選手は多いけれど、それではそのために自分は何をやるべきなのか、待っているだけでいいのか、特に若い世代の選手には真剣に考えてほしい。 — Yoko Miyaji (@yokomiyaji) 2014, 5月 19
そして大人の世代には、そうやって外に出て努力している選手たちをきちんと見て、評価してあげてほしい。外に出たことで見捨てられてしまう日本なら、外に出ようと思う選手も減ってしまう。代表に選ぶかどうかは別にして、外に出た選手もプレーを見て評価する場、システムを作ってほしい。 — Yoko Miyaji (@yokomiyaji) 2014, 5月 19
このような一連のツイートで、海外への挑戦と、海外挑戦することが自国代表チームでの活動などに著しく不利にならないような、勇気ある挑戦を後押しする環境整備の必要性を訴えた。百聞は一見にしかずというが、見ることに加え、異国の地でバスケットを体験し、現地の文化の中に身を置くことは選手にとって大きな成長の糧となる。 日本のバスケットを強くしたいと願い、行動する人は多いが、今の延長上の行動基準では世界との差を埋めることは難しい。
2020年には東京五輪が開催され、その前年の2019年にはワールドカップが待っている。さらには2017年から、これまでの集中開催によるワールドカップ予選方式ではなく、ホーム&アウェイでの長いスパンでの代表戦が開催される方針であることも発表された。ますます、バスケットボールは国際化の中に日常的に放り込まれることとなる。 かといって、そうそう簡単に海を渡れるわけではない。だが、日本にいながらにして諸外国のバスケットを経験できる空間を作ろうと活動をされている人物がいる。
マーク・バートンその人
今回、本記事で取り上げるマーク・バートン氏もその1人である。1963年にシカゴで生まれ、メリーランド大学カレッジパーク校とカペラ大学を卒業後、米国公的機関で青少年育成の部署で従事。現在は横田基地内でファミリーカウンセラーを始め、様々な職務に就いている。3年前からは日米の子供たちに新しいチャンスを与えようと、チームのオーガナイザー、バスケットコーチ、クリニック等の主催者として幅広く精力的に活動している。
現在は日本人女性と結婚し、家族も授かった。日本での生活の特徴を「ハーモニー」と語る親日家である。「人々は親切で、治安が良く、安心して暮らせる。自分の好む生活リズムと非常に合っている。日本が大好きだ」。「バスケットボールは自分にとって危険な世界から離れ、素晴らしい人生を渡り歩くチケットだった。また、プロ選手になれずとも、バスケットボールに真摯に取り組む中に様々な人生のレッスンがあった」という経験から「日本の子どもたちにスポーツ、バスケットボールを通じて様々なチャンスを作り、日米の懸け橋の1つになりたい」とという夢を掲げて活動している。 バスケットボールの領域では、World Star Basketball Academy(日米の懸け橋となることを目的として立ち上げたバスケットボールアカデミー)のゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチ、米国バスケットボール審判員、米軍横田基地バスケットボールチーム総合コーチ、ALLDAYにも出場しているTeam YOKOSUKAのHCなども兼任。パーソナルコーチとしての側面や、クリニックなどの主催者として、NBA関係者や米国の大学のコーチとパイプを持ち、アメリカと日本の才能あるプレーヤーの発掘育成に尽力するなど活躍は多岐にわたる。
現在でこそ、日米両面での活動の幅が広がりを見せているが、日本でのバスケットボール活動の始まりは壁との戦いであったという。まず、日本と言う国に勤務地という以上の感情を持てなかった。米軍基地内での異動、日本風に言えば「転勤」で日本に足を踏み入れたバートン氏だが、来日当初は日本の文化にも馴染めず、米軍基地以外での人間関係も皆無に近かった。だが、日本人の女性と結婚し、子どもを授かって暮らしていく中で、日本のリズムに共感を抱くようになる。時間、交流が積み重なるに連れて人々の親切さに惹かれる。そして、子どもを育てるという立場になると、今まで以上に日本の治安の良さの素晴らしさを実感したのだった。
コーチは自分のブランドを作っているのではないか?
日本への愛着が増すにつれ、自らが幼少から取り組んできたバスケットの経験や知識を日本の子どもに伝えることへの意欲が強くなる。元々、米国でも公的機関の中で青少年育成事業に取り組んでいたこともあり、想いは強くなる。
「アメリカで培ってきた自らの経験が日本の子どもの役に立つのではないか?」
日に日に強くなる想いを行動へと繫げる。まず、日本のバスケットをさらに学ぼうと12~17歳のバスケット大会へと足を運び、1つの疑念を抱く。
「日本のバスケットチームは、まるで、コーチのブランドのようだ。ウォルト・ディズニーが自分の哲学を凝縮させてディズニーランドを作ったように、コーチが自分の哲学を体現するために選手をプレイさせているようだ」。
もちろん、コーチが確固たるフィロソフィーやスタイルを持ち、1つの作品ともいえるようなバスケットボールを作り上げる事は1つの方法であるが
「この年代の子は、人生で一番成長できる時期だ。バスケットでも、その他の部分でも。チームを強くすることのみではなく、個人のバスケットボールを伸ばすチャンスを日本の子供たちに作ってあげたい」。
当初の想いと自身の想いとが重なり、さらにビジョンは明確になっていく。 そこからの道のりは平坦ではなかった。各地域へアプローチしていくが、子どもを指導する機会には恵まれなかった。より具体的、より明確に自身のビジョンと活動の価値を伝えれば違ったのかもしれないという反省もあるが「日本のバスケットは非常にクローズドな空間であり、外の世界に対して扉が閉められている」という印象を持ち、時間ばかりが経過する。
後編へ続く
この記事の著者
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1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。
宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。