福田 将吾氏(仙台89ERS アソシエイトヘッドコーチ)インタビュー

福田 将吾氏(仙台89ERS アソシエイトヘッドコーチ)インタビュー

※2016年9月下旬にGSLのFBに掲載したものを再掲載している記事です。

2016年5月末に開催されたギャノン・ベイカー氏のクリニック(主催:株式会社ERUTLUC)にて、GSL編集部の片岡は福田 将吾氏とお会いする機会に恵まれました。

2008年、2009年頃の大学バスケットボールを熱心に見ていた方ならばお名前だけでお分かりでしょう。2009年インカレにて鹿屋体育大学を7位に導いた若き学生コーチが福田さんです。その後渡米し、アメリカの大学でコーチとして働かれていたようです。この度福田氏のアメリカでの経験についてお話を伺う機会がありましたので、インタビュー内容をまとめてお届けします。

鹿屋での実績を引っ提げてNAIAのウェストモント大学へ

−−鹿屋体育大学大学院卒業までのインタビュー記事などは拝見しましたが、その後の動向には私も注目しておりました。ズバリ、ここ数年の活動内容を教えてください。

鹿屋体育大学の大学院修了後、海外への挑戦をする準備期間として、前期課程のみ、福岡大学で科目等履修生として英語の単位を取得し、その後、福岡の語学学校で英語の勉強に励んでいました。

その後、鹿屋体育大学以前より親交のあったジェフ・ヒロナカ氏のいるワシントン州立大学などを訪ね、日本での戦績や、アメリカでコーチとして挑戦したい旨の話などをしていました。

当時、同大学にはクレイ・トンプソンなども在籍していました。ワシントン州立大学のバスケットボール部でコーチングスタッフとして働くことを希望していましたが、自分は同大学の学生ではないことなどもあり、その希望は敵わず、別の道を探し始めます。

※2009年のインカレでは、福田氏がヘッドコーチを務めた鹿屋体育大学が法政大学に勝ってベスト8に進出。その後、準決勝では東海大学に敗れる(52-80)ものの、順位決定戦での拓殖大学への敗戦(70-80)を経て、中央大学に83-65で見事に勝利し7位入賞を成し遂げた。しかし、その後手応えとさらなる改善を目指して挑んだ2010年の全日本総合選手権では、68-77でタツタ電線に1回戦で敗退し、福田さんの鹿屋体育大学での挑戦は終焉となった。

−−ほかにどのような選択肢があったのでしょうか?

NCAAではなく、規定の異なるNAIAのウェストモント大学(Westmont Universty)のJohn Moore氏を紹介して頂き、彼に会うために大学のあるサンタバーバラへと向かいました。

そこで、これまでの活動、日本での実績、自分の特性などを話しました。その後、1週間ほど現地で練習を見学することになりました。ヘッドコーチだけではなく、ほかのコーチングスタッフともコミュニケーションを取りました。

何か具体的に課題を出されたりはしませんでしたが、今思うと、自分がどのような人間かを見られていた部分もあったのだと思います。結果、スタッフの1人として招き入れて頂けることになりました。

※NAIAとは、NCAAとは別組織で大学スポーツを統括する機関。大まかな目安で言うと、NCAAのDIVⅡと同じぐらいの規模やレベル。

−−話が前後しますが、ジェフ・ヒロナカさんとの関係性は?

元々、アンドウタカオさんと日本大学がアメリカのコーチを招いて開催したキャンプがあり、そこにコーチとして参加したのがきっかけです。そのとき、アメリカ人のコーチの方からジェフ・ヒロナカさん(当時はシアトルパシフィック大学を指導)の存在を教えて頂き、様々な方法を使って彼の連絡先を知り、コンタクトを取りました。

当時、私は東京理科大学の4年生でした。練習を見学に行かせて頂けることになり、マネージャーをしながら勉強させて頂けることとなりました。大学の教授とも相談し、留学することを決意します。

その後、ジェフ・ヒロナカ氏も取り入れていたプリンストン・オフェンスの本場で学びたいと強く想い、プリンストン大学へと出向きます。ここでもチームスタッフに入れて頂けるように約1か月間粘ったのですが、どうしても、その役職を得ることはできませんでした。

ちなみにこの時期、プリンストン・オフェンスの考案者でもあり、当時はサクラメント・キングスでアシスタントコーチを務めていたピート・キャリル氏も大学に来て、話をする機会にも恵まれました。

その後、鹿屋体育大学で学生コーチとして指揮をした後もヒロナカ氏との交流は続いています。2008年のインカレでは1回戦で大東文化大学に勝利後、2回戦で専修大学に53-71で敗戦しています。前半は40得点と好調でしたが、後半は13点(各ピリオドで8点、5点に抑えられた)で敗退。九州代表として出場した2009年全日本総合では石川ブルースパークスに勝利後、2回戦で青山学院大学に敗退。ここでもゾーンに苦しんだことから、ヒロナカ氏のもとへバスケットを学びに行っていました。

徐々に存在感を発揮。ウェストモント大学で得た成果

−−ウェストモント大学のJohn Moore氏はどのようなバスケを志向するコーチですか?

ウェストモント大学のJohn Moore氏は、1993年から同大学のヘッドコーチを務めています。元々、トライアングル・オフェンスで名を馳せたコーチでもあり、2004年からプリンストン・オフェンスを採用しています。これまでにNAIAで523勝を挙げており、NAIAの全米ファイナル4へ2、3回進出。2015年シーズンにはファイナルにも進出しています。

NCAA DIV1の大学からも数々のオファーがあったようなのですが、サンタバーバラを心から愛しているようで、25年ほど同大学に在籍しています。幼少期、日本に10年ほど住んでいたこともあるようで大の日本好きです。私も、彼のことは今でも心から尊敬しているコーチです。

もし、日本でも彼のプリンストン・オフェンスを学んでみたいという企画があれば、彼も喜んで来日すると思います。5月末には、クリニックで香港にも来るようです。

−−ウェストモント大学では、どのようなサイクルで生活を?

ウェストモント大学時代は、午前中に語学学校に通い、午後からチームの仕事に取り組んでいました。語学学校には、アジア人、日本人も多かったのですが、あえて、自分から日本人コミニティから距離を置き、この地での仕事にどっぷりと浸かりました。ゲームブレイカーやスポーツコードを使っての映像分析やレポートの製作が最初の主な仕事でした。

−−どのようにチームの中で役割や存在感を発揮していかれたのでしょうか?

その仕事に必死に取り組み、チームのゲームを見る中で、プリンストン・オフェンスのチンシリーズと呼ばれるオフェンスのハイポストアクションで、そのシーズンの選手にマッチするオフェンスを着想しました。

John Moore氏とバスケットボールについて議論を重ねる中、その動きを提案すると、1つのオフェンスオプションを採択してくれ、そのオフェンスがゲームの中で良い結果を残すことができました。それがきっかけとなり、徐々にチームの中で任せて貰える役割が増えていきました。

このシーズンの終盤にはゾーンディフェンスのシステムを提案した際にはそれも採用して頂くことができ、チームにとっても、私にとっても非常に大きな成果を得ることができました。

私の経験上、アメリカでは、個々人の役割に対して「やってはいけない領域」ということは非常に明確に区分しますが、「やってはいけない領域」に抵触しない活動の中で、自分の知識や持ち味を出していくことは非常に重要であると感じています。

ウェストモント大学時代の福田氏。一番右がJohn Moore氏
ウェストモント大学時代の福田氏。一番右がJohn Moore氏

−−2シーズン目には、どのような役割でチーム内で力量を認められましたか?

その後、2シーズン目には、専門の担当者がいたリクルートに関する部門以外は、オフェンス、ディフェンスの両方でも積極的に関われるようになりました。当時、John Moore氏からも、「オフェンスでも、ディフェンスでも、何か意見やアイデアがあったら積極的に言ってほしい。チームが良くなるアイデアと判断をしたら、ショーゴの意見も積極的に採用していきたい」という言葉を貰いました。実際、ミーティングでも「これに対してどう思う?」とい質問される機会も多く、また、他のアシスタントコーチともよくコミュニケーションが取れ、充実していました。

そのシーズンはチームも非常に好調で、NAIAのランキングで全米4位にまでランクアップしました。

福田 将吾氏

さらなる高みを目指しセント・ジョーンズ大学へ

−−その後、セント・ジョーンズ大学(NY)へ行かれますが、この時期の経緯としては??

その後、非常に好調だったシーズンの12月頃、この地で3年目のシーズンを迎えるのではなく、さらに高みを目指して挑戦することを決意し、John Moore氏にも、その意思を伝えます。

シーズン終了後、John Moore氏の紹介でセント・ジョーンズ大学のSteve Lavin氏も、同じポジションで仕事のできる人物を探していたようです。彼は、プリンストン・オフェンス愛好家の方には有名かも知れませんが、UCLAがプリンストン大学に世紀の番狂わせを味わった際の、UCLAのアシスタントコーチです。アジア圏では韓国代表のアドバイザーなどの実績もあります。

彼と食事を共にし、話をする中で、良い感覚(Good feeliing)を感じてくれたようです。John Moore氏とも非常に親交の深いコーチなので、彼からも話を伺っていたと思うのですが「コイツと仕事をしてみたい」と思ってくれたようです。非常に有難かったですね。

ウェストモント大学でやってきたことと同じように、ショーゴが感じたことをやってくれという役割も与えて頂き、より積極的にチームに関与することができました。

−−そうして役職を得た中で、セント・ジョーンズが所属するビッグイースト・カンファレンスで強豪大学と凌ぎを削るわけですね。2013-14年は20勝13敗で、あと1勝あれば、NCAAトーナメント出場も確実だったというお話も伺ったこともあります。事実、そのシーズンのNIT(The National Invitation Tournament)には第1シードで大会に招待されています。今シーズン、渡邊 雄太選手が日本人初となるNIT優勝を成し遂げたことでも広く知られていますが、その2シーズン前、既に福田さんは挑まれていたんですね。

渡邊 雄太選手のNIT優勝は本当に素晴らしいことだと思います。NCAAトーナメント出場を惜しくも逃したチームが集まる大会ですから、非常にレベルが高いトーナメントです。彼の情熱やバスケットボールに取り組む姿勢、Work ethicには刺激を受けています。

セント・ジョーンズに足を運びに来たボストン・セルティックスやオーランド・マジックのスカウトの方との雑談の中で、渡邊選手の話題になったこともあります。頑張っているなぁ、と思いましたし、とても刺激を受けましたね。

13-14シーズンのNITでは、セント・ジョーンズは第1シードでした。第1シードということは、もっともNCAAトーナメントの近い位置にいたとも言えるわけですので、本戦出場を逃したショックから上手く立ち直れないままに試合を迎え、ロバートモリス大学に78-89で敗戦しました。

−−その後、2シーズン目を迎え、このシーズンでは見事にNCAAトーナメント進出、しかも第9シードでの進出となりました。2年目のシーズンを振り返ると、どのようなことがありましたか?

2年目のシーズンはシラキュース大学に、しかも相手のホーム(Carrier Dome)で69-57で勝利したのが印象的です。ACC(アトランティック・コースト・カンファレンス)に所属するシラキュースは、Non-conference gameで55連勝の記録(NCAA歴代2位となる)を樹立しているときでした。それをストップしたこと、かつ、セント・ジョーンズがシラキュースのホームで勝利したのも99年振りとのことでした。全米TOP25位にも名を連ねましたし、最高位は15位でした。

その後、所属カンファレンス(ビッグイースト・カンファレンス)での試合では負けが続くこともありましたが、2月は非常に高い勝率で白星を積み上げることができました。

1年前のシーズンとは違いNCAAトーナメントの出場の報が届くSelection Sundayの時期には、既に出場する前提で、スイート16、エリート8を目指して練習していました。ですので、どちらかというと、ホッとしたという気持ちが強かったように記憶しています。正式な知らせを受け、すぐにミーティングをしてトーナメントの準備を積み重ねました。

残念ながら、本戦ではサンディエゴ州立大学に64-76で敗れ、1回戦でトーナメントから姿を消すこととなります。主力選手の1人であったChris Obekpa選手が本戦に出場できないなどの事情もあり、ペリメーターの選手を中心に試合に挑むなど、メンタル的にもタフなゲームでした。憧れの舞台であり、とても素晴らしい経験に興奮もしましたが、持てる力を出し切れなかった悔しさ、レギュラーシーズンで負けたデューク大学にリベンジする舞台に辿り着けなかったことを非常に悔しく思いました。

この敗戦があり、いつか、このNCAAトーナメントで優勝したいという気持ちと決意も改めて芽生えました。

デューク大学との決戦を前に撮られた1枚
デューク大学との決戦を前に撮られた1枚

※このシーズン、2015年アジア選手権を制した女子日本代表チームのテクニカル・スタッフを務めた尺野 将太氏(2015-16シーズンはWJBLのアイシンAWに在籍)も2015年2月3日のバトラー大学での試合を観戦。残念ながら62-85でセント・ジョーンズは敗戦をするが、試合前のウォーミングアップ、タイムアウト中などチームの勝利のために精一杯取り組んでいる福田氏の姿が印象に残ったという。また、福田氏の紹介で、試合後にはセント・ジョーンズのコーチ陣と尺野氏とで、福田氏の通訳にてコミュニケーションを交す機会もあり、当時の対応に大変感謝されていた模様。

−−非常に濃密な経験をされていらっしゃったんですね。それ以外ですと、この時期のエピソードとして何がありますでしょうか?

その時期、一緒に仕事を共にしていたアシスタントコーチで、NBAなどでも経験のある仲間が、(自分の様に日本人がアメリカでコーチをしようと志すと障壁になる)英語の壁と、永住権の条件をPASSすれば、ショーゴはNCAA Div1のコーチになれると認めてくれたことも非常に自信になりました。

余談ですが、GSLの記事にもUPされているコーチKの1,000勝目の対戦相手はセント・ジョーンズ大学です。私もベンチに座り、必勝を期して挑みましたが、残念ながら彼のメモリアルなゲームとなりました。

まさにこの試合で、福田氏はベンチに座っていた。0:14あたりで、ベンチの後ろに座っている姿が見える

試合後にコーチKと言葉をかわす福田氏。いったいどんな会話をしたのだろうか
試合後にコーチKと言葉をかわす福田氏。いったいどんな会話をしたのだろうか

−−シーズン終了後は、どのような動きがあったのでしょうか?

その後、大学のレジェンドOBであるクリス・マリンがヘッドコーチに就任するに伴い、ヘッドコーチ以下、スタッフ陣も入れ替えになりました。自分はチームに残るチャンスもありましたが、今後の方向性などを考え、帰国を決意しました。2015年の7月頃のことです。

その後、日本で家業を手伝いつつ、アメリカでのコーチ活動も模索。UCLA男子バスケ部の最終面接まで到達することもできましたが、最後の面談で不採用に。それ以外には、ノースウェスタン大学、イリノイ州立大学などとも面接をしました。

−−様々な経験を積まれた今、どのような未来を考えていますか? ギャノン氏のクリニックを見学に佐賀県から出向いたことには、どのような収穫がありましたか?

今後については、また具体的にお話しできる時期が来ましたら、お話できればと思います。

ギャノン・ベイカーのクリニックでは、彼がバスケットボールに取り組む姿勢、ハイエナジーでプロフェッショナルな姿勢を感じ取ることができ、多くの刺激と、インスピレーションを頂きました。

セント・ジョーンズ時代のSteve氏ともすぐにメールをし、彼のハイエネジーな姿勢の素晴らしさで話が盛り上がりましたね!

また、日本でも、プリンストン・オフェンスの勉強会なども開催されていると知り、とても驚きました。鹿屋体育大学時代の取り組みなどもきっかけになっていると聞くと、尚更に驚き、恐縮します。日本でも、自分の経験を生かして、バスケット界に還元できるようにも頑張りたいと思います!

インタビュー:2016年5月6日 片岡 秀一

Profile:福田 将吾

福田 将吾氏(仙台89ERS アソシエイトヘッドコーチ)

仙台89ERSアソシエイトヘッドコーチ。1984年01月14日生まれ。佐賀県出身。唐津東高等学校→東京理科大学→鹿屋体育大学男子バスケットボール部ヘッドコーチ、鹿屋体育大学大学院→ウェストモントカレッジ男子バスケットボール部アシスタントコーチ→全日本代表男子コーチングスタッフ→セントジョンズ大学男子バスケットボール部グラデュエイト・アシスタントコーチ兼ビデオコーディネーター、セントジョンズ大学大学院→現職

 

 

この記事の著者

片岡 秀一
片岡 秀一ゴールドスタンダード・ラボ特別編集員
1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。

宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。

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