2/28(水)『バスケットボールサイエンス』開催!「研究は、コーチを続けるための手段だった」小谷究氏が自身の経験を赤裸々に語る

 

2014年に発足したバスケットボール学会の発足により、バスケットボールの研究者が一同に介する機会が大幅に増えた。2014年より毎年12月に開催されている学会大会や、競技現場の最前線で活躍する有識者を招いてのサマーレクチャー、年に1回発刊される学会誌『バスケットボール研究』でも数多くの研究論文に接する事が出来る。さらには、日本バスケットボール学会のHPでは過去の学会誌も電子版を公開中、指導現場の最前線で指導者の方も様々な研究論文に触れる事が可能となっている。

バスケットボール学会HP内の設立趣意書には「この競技には実践の現場が存在する以上、バスケットボール学会は、単なる研究交流の場ではなく、実践に従事する指導者や選手もそこから多くを学べる場でなければならない」とある。学会大会、サマーレクチャー、学会誌のWEB公開など、設立趣旨書にある理念に基づいた活動だ。サマーレクチャーや、学会大会の現場に参加をし田経験を持つ方々は、研究現場と競技現場の交流する機会を創出し、バスケットボール界に貢献しようとする強い意思を感じ取っている人も多いのではないか。

現在、バスケットボールの指導現場でも、最新のIT機器を駆使した分析や、科学的な知見に立った分析によって戦術のトレンドに変化を与えているケースも数多く見受けられる。もっともっと、研究者の方と、競技現場が交わりあう機会が増えれば増えるだけ、バスケットボール界はさらに楽しく、味わい深く、ポジティブで魅力的な空間になるはずだ。GSL編集部では、研究者の方々との交流を通じて、その思いを強くしてきた。

そんな中で、GSL編集部では、『バスケットボール用語辞典』・『バスケットボール学入門』・『ボールマンがすべてではない: バスケの複雑な戦術が明らかになる本』の著者(編者も含む)でもあり、流通経済大学バスケットボール部ヘッドコーチ、流通経済大学スポーツ健康科学部スポーツコミュニケーション学科 助教、日本バスケットボール学会理事の小谷究さん、GSL編集部の一員であり、『マイケル・ジョーダン 父さん。僕の人生をどう思う?』・『イレブンリングス 勝利の神髄』・『ゴールドスタンダード 世界一のチームを作ったコーチKの哲学』の翻訳書を持ち、日本体育大学 総合スポーツ科学研究センター 特別研究員の佐良土茂樹氏らと連動し、「研究と競技現場の橋渡し」を意図した催しを開催する。

大学院に進学を考えている大学生、「現在、実際にバスケットボールの研究をしている大学院生、現時点で研究には縁がないが、バスケットボールの研究者の話に興味のある指導者の方、現役のプロ選手で競技活動と並行して大学院(大学)への進学を考えているバスケットマン、バスケットボール関係の催しであれば、とにかく何でも参加してみたい!というバスケットボールフリークの皆様、全てが参加対象。是非、お気軽にお越しください!参加費は無料です。

イベントページ
https://www.facebook.com/events/1892381114167199/

下記、小谷究さんより、現在に至るご自身の活動を赤裸々に語って頂いた文章である。「研究現場と競技現場のさらなる交流を促進する事」・「競技現場の課題や疑問を研究し、その研究成果がバスケットボール競技の現場で何かしらの役に立つこと」を願って精力的に取り組んでいる小谷氏であるが、研究者への道を歩んだ動機は異なった。「全てのバスケットボール研究者が、最初の一歩を志高く踏み出しているわけではない」とご自身の経験を踏まえて語る。研究者になる事を考えているが具体的な情報が乏しく、一歩が踏み出せていない人、研究者の方々の歩みを知りたい人は、是非ともご覧になって頂きたい。

「全てのバスケットボール研究者が、最初の一歩を志高く踏み出しているわけではない。」

※Basketball Birthday Classic 2017内にて開催された小谷氏の講義。『ジェームズ・ネイスミス博士の理念に基づくコーチング』の一コマより

◇「大学院に行けば、コーチも続けられる。今よりも楽そうだ」

私は、中学からバスケットボール競技をはじめ、大学は日本体育大学に進学し、バスケットボール部に所属した。大学卒業後は日本体育大学保護者会事務局というところで事務局員として働きながら日本体育大学男子バスケットボール部のアシスタントコーチを務めることになった。バスケットボール部のコーチにはやりがいを感じていたが、保護者会事務局の仕事にはなかなかモチベーションが保てず、業務の時間が苦痛でしかなかった。そんななか、学部時代に同期であった院生たちが楽しそうにしているのを見て、「大学院に行けばコーチも続けられるし、今よりも楽そうだ」と考え、翌年に日本体育大学大学院を受験し、修士課程トレーニング科学系、つまり、自然科学系のコースへと進学した。このように、私の研究への道は「コーチを続けられ、今よりも楽そうだから」という理由でスタートした。

◇研究意欲が全くない。不良院生

大学院に進学したものの、研究をしたいという意欲が全くなかったことから、研究テーマも決まらず、指導教官も決められず、定年まで1年しかない石川県出身の先生に同郷ということで引き取っていただいた。大学院の授業で学ぶ運動生理学やバイオメカニクスなどはバスケットボール競技のゲームや練習、指導に役立つものが多く、授業は積極的に受けていたように記憶している。授業のおかげで、指導することがより楽しいものとなった。修士1年目は授業には出ていたものの研究への意欲は高まらなかった。引き取っていただいた先生の研究室にも顔を出さず、研究室の先輩から何度も連絡がきた。本当に不良院生だった。大学院に入学し1年が経過しようとする頃、私を引き取ってくださった先生の定年が迫り、新たな指導教官を決めなければならなくなった。同時に、修士論文を執筆するために研究のテーマを設定する時期も迫っていた。

◇バスケットボールの映像分析の研究を考えるも、実現せず

私はコーチとして対戦チームのゲームの映像を見てスカウティングをしていたことから、バスケットボール競技の映像を分析することであれば少しは興味を持って研究を進めることができるだろうと考え、バスケットボール競技のゲーム分析をすることにした。ところが、当時は「アナリスト」なんて言葉もほとんど使われておらず、ゲーム分析をしたいと言っても、どの先生も嫌がって私を受け入れてくれなかった。私の研究に対する意欲が低かったことも受け入れを拒んだ大きな理由としてあるだろう。そのようななか、運動生理学が専門の先生が救いの手を差し伸べてくれ、その先生の元でゲーム分析を行うことになった。指導教官の先生は運動生理学が専門なので、研究を進めるにあたってはバレーボール日本代表チームの分析を担当し、私の学部時代の担任であった先生にも協力していただいた。

大学院修士課程修了後はコーチを続けるために博士課程への進学を希望し、受験に合格したが、博士課程で指導していただく予定の先生からゲーム分析で博士論文を執筆することは無理だと言われ、博士課程進学を断念した。修士課程修了後は日本体育大学バスケットボール研究室で3年間の期限が付いた助教を務め、助教になった年の冬からバスケットボール部のヘッドコーチを務めた。助教をしていた3年間は全く研究に手をつけなかった。この間に、私は結婚し、子供も生まれ、家庭を持つことになった。大学でコーチを続けるために大学の教員になることを希望していたが、大学教員への道は非常に狭く、オリンピアンでもない、修士号までの学位しか取得していない私を大学が採用することはなかった。やはり、大学教員になるためには最低でも博士号の学位を取得する必要があった。しかし、当時はゲーム分析で博士論文の執筆はできないとされていたことから、学部時代から同郷の私を可愛がってくださった石川県出身の先生に相談した。

◇研究再開の動機もまた「コーチを続ける為」

先生は、すぐに「私のところで博士論文書きなさい」と言ってくださった。先生の専門分野はスポーツ史であり、自然科学系のコースで修士論文を作成した私の分野とは大きくかけ離れていたが、助教の期限が迫ってきており、私には他に博士号の学位を取得する方法は残されていなかった。さらに、その先生はバスケットボール競技をやられていたので、先生の元でならバスケットボール競技を対象に論文を書くことができると考え、博士課程へと進学することにした。つまり、私の研究再開の動機もまた「コーチを続けるため」であった。バスケットボール競技の研究をする目的としては、競技現場の課題や疑問を解決することなどが理想になるだろうが、当時の私にとって研究はコーチを続けるための手段でしかなかった。

◇博士課程の受験に向けて、研究テーマの設定

さて、博士課程への受験を決めた私は、受験に際して研究計画書を提出するために研究テーマを設定する必要があった。しかし、私は修士課程においてゲーム分析を行っていたことから、スポーツ史の研究方法について全く理解していなかった。そこで、研究テーマは指導教官の先生が設定してくれた。先生は、私が英語を苦手としていること、中学時代からバスケットボール競技に携わっていたこと、修士時代にゲーム分析をしており戦術に興味があったことから「日本のバスケットボール競技における戦術の変容過程に関する研究」というテーマを設定した。研究テーマも、競技現場の課題や疑問などから設定されるのが理想になるだろうが、私の研究テーマは私の興味・関心に結びつけられて指導教官によって設定された。おそらく、この研究テーマでなければ私は現在まで研究を続けることができなかっただろう。研究テーマが、私の興味・関心に強く結びつけられていたことは研究の継続において大変重要な要素であった。

◇研究がコーチを続けるための手段ではなくなった。ディズニーランドにて、パレードの場所取りをするように見せて隠し持ってきた論文を読んだことも。

博士課程へと進学し、研究を再スタートしたものの、修士課程でスポーツ史の基礎を学んでいない私は、指導教官の先生の指示通りに研究を進めた。私が博士課程に入学してから3年間は史料収集と史料の読み込み、史料整理で終わってしまった。つまり、私は3年で博士課程を修了することができなかったのだ。しかし、4年目以降、内容の良し悪しは別として複数の論文を執筆することができた。この時期から研究自体が楽しくなり、研究がコーチを続けるための手段ではなくなった。

そうなると研究がやめられなくなり、寝ても覚めても研究ばかりするようになった。家族で出かけた温泉では、妻と娘達が温泉に入り、私は温泉に入らずに休憩室で史料を読み込んだ。ディズニーランドでは妻と娘達を乗り物に乗せ、娘達のために積極的にパレードの場所取りをするように見せかけて、隠し持ってきた論文を読んだこともあった。夢の世界で、論文に夢中になった。それでも、競技現場の課題や疑問などから各論文のテーマを設定することはできなかった。史料を眺めながら、史料が揃っていて論文としてまとめられそうな内容から各論文のテーマを導き出しているのが私の実際である。だから、毎回、論文の緒言部分の執筆に困ってしまうのだろう。それでも、研究を進めるなかで現在の競技現場を理解することができる事柄が明らかになることもある。

◇全てのバスケットボール研究者が、最初の一歩を志高く踏み出しているわけではない。私の実際を知ることで研究者としての一歩を踏み出してもらえれば幸いである。

結局、私は博士課程を修了するまでに5年をかけてしまった。現在は、研究を始めた頃とは異なり、新たなことが明らかになること自体を楽しんで研究に取り組んでいる。また、競技現場の課題や疑問などから論文のテーマを設定できるようになりたいとも思っている。さらに、研究成果がバスケットボール競技の現場で何かしらの役に立つことを願うようにもなった。ただし、研究をする目的のなかに、業績を作ることがないといえば嘘になる。大学の教員として、研究をして業績を作ることも重要である。そして、現在も大学でコーチを続けることができている。これが私の実際である。全てのバスケットボール研究者が、最初の一歩を志高く踏み出しているわけではない。コーチを続けるためやバスケットボール競技に関わり続けるために大学院進学や研究を始めることを迷っている人が、私の実際を知ることで研究者としての一歩を踏み出してもらえれば幸いである。

この記事の著者

片岡 秀一
片岡 秀一ゴールドスタンダード・ラボ特別編集員
1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。

宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。