「文武両道あり得ない」下関国際・坂原監督から何を考えるべきか

「文武両道あり得ない」下関国際・坂原監督から何を考えるべきか

毎年この時期、深夜の熱闘甲子園を楽しみにしている人も多いはずだ。私もその1人。青春とはかくも短く、だからこそ彼らが情熱を燃やす一瞬一瞬に涙が溢れてくるのだろう。

一方甲子園というシステムには常に賛否がつきまとう。今年も1つ、その種が生まれた。

「文武両道あり得ない」下関国際・坂原監督が野球論語る』と題された日刊ゲンダイの記事だ。

坂原監督が「文武両道は無理」だと断言したこの記事に対し、多くの人々が反発の声を上げている。高校野球は学生スポーツであり、勉学はもとより人間教育をも包括するもので、根幹にある勉学を放棄するとは何事か。というのが大方の意見かと思う。

確かに私も文武両道であることが「望ましい」と考えている。しかし、坂原監督が言わんとしていることを100%理解するためには、もっと多面的に考えなければならないと私は考えた(ある種メディア側にいる人間の性でもある)。坂原監督を脊髄反射的に非難するのは簡単だが、こうした野球論に行き着いた根本的な問題は、きっとほかにあるのだろうと考えたのだ。

下関国際が教えてくれる「地方のリアル」

坂原監督着任以前、下関国際は「荒れ放題だった」そうだ。どの程度荒れていたかというのは、検索をすれば誰もが簡単に目にできるほどだ。加えて下関国際の大学進学率は、調べてもほとんど見つからないほどで、どのような学力であるのかは容易に想像できる。

恐らくこれまで、多くの生徒が卒業さえままならない状態だったことも想像できる。こうした学校の野球部を甲子園に連れて行き、卒業にまで導いているであろうことは、1つの功績として評価できる面である。なぜなら、山口県全体が直面している恐るべき数字があるからだ。

私は地方に住んだ経験はないが、仕事で地方の経済事情を目の当たりにすることは多々あり、そこではいつも地方の厳しい現状を突きつけられてきた。

アメリカンドリームほど大げさではないにせよ、彼らにとっての野球は、そして野球を第一に取り組むことは、大学進学やプロへの最も現実的なルートであるかもしれないのだ(現に下関国際からは1人プロ野球選手が誕生している)。

ちなみに私は東京下町のある区域の出身であるが、東京都内であっても、(当時)大学進学はそれほどリアルではなく、一部(恐らく10%近くいたと思うが)にとっては高校進学すらリアルではなかった。これがさらに地方ならどうだろうか?

もしそうでなく、高校で終えたとしても、甲子園に出場したという成功体験は、生徒にとって将来生きていく上での自信になりえるかもしれない。

これは実体験であるが、事実いくら勉強しろと言っても、やらない者はやらないし、できない者はできないというのが実際のところだ。しかしスポーツに真摯に取り組み、平均的な内申(学校側のサポートも多分に含まれる)があれば、大学進学への道が開けることもある。

ほかにもスポーツの強豪校のスポーツ推薦組みであれば、授業が免除されているケースもあると聞く。程度の問題、当事者が正直に語ってしまったかどうかの違いであって、下関国際は氷山の一角でしかない。

まとめると、坂原監督が実践しているのは、実は選手の将来を真剣に考えた上での「消極的な最善策」であるかもしれないと、私は想像したということだ。つまり監督を非難することでは何も解決せず、果ては高校野球界だけの問題でもないかもしれないということだ。

もっと広い視野に立ち、こうした現状に対して自分自身が何をなすべきかを考えるきっかけを与えてくれた一件だと、個人的には考えている。だがしかし、これは数字やごく一部の実体験を元にした想像でもある。地方で日々精進されている皆様から、「リアル」なご意見・反論をいただければ幸いである。

この記事の著者

岩田 塁GSL編集長
元・スポーツ書籍編集者。担当書籍は『バスケ筋シリーズ』『ゴールドスタンダード』『シュート大全』『NBAバスケットボールコーチングプレイブック』『ギャノン・ベイカーDVDシリーズ』『リレントレス』他