インタビュー:小泉明彦(neoうめや)その1

小泉明彦01

新シリーズは全国的にも有名なクラブチームである「neoうめや」の小泉明彦氏。JBL2の東京海上でもプレイされ、文武両道を実践されてきたバスケット界の強者です。

長きにわたりデューク大学を応援し続ける小泉さんの考えるチーム論について『ゴールドスタンダード』を切り口にお話を伺いました。

コーチKさんとの出会いについて教えて下さい。そもそも、初期のころのコーチKを知った経緯や、デューク大学、さらにはNCAAのスポーツを愛する理由についてご教示ください

デューク大学、そしてコーチKを初めて観たのが、当時NHKで録画放送されていた1986年のNCAAファイナルでした。

結果はデュークが敗れてルイビル大が優勝したのですが、そのとき高校生だった私に強烈な印象を残したのは、勝者のルイビルではなく、敗者のデュークでした。

後のNBAドラフト全体1位のパービス・エリソンや、この年のドラフトで1順目指名されてレイカーズの2連覇に貢献したビリー・トンプソンら、サイズとアスレチック能力を兼ね備えた選手を揃えるルイビルに対し、デュークにはジョニー・ドーキンスという小柄ながら高い能力を持つ絶対的なエースはいたものの、ドーキンス以外の選手は決してサイズ・能力に恵まれてはいませんでした。

しかしながら、コーチKに鍛えられた強固なディフェンスと、派手さはないものの堅実なオフェンスでこのシーズン好成績を収めたチームでした。

当時はNBAもテレビで観られるようになってきていた時代でしたが、プレイ・戦術の参考にするにはNBAでは選手の能力もルールもあまりにも違いすぎました。

そんな中、NBAよりは能力に恵まれない選手も活躍していて、ルールも当時の国際ルールに近かったNCAAは大変参考になり、特に運動能力だけに頼らないバスケットボールを展開し、強豪校と成り得たデュークに強い魅力を感じました。

その後も88~90年に連続でファイナル4に進出し、セミファイナル、ファイナルで敗れ優勝には届かなかったものの、選手が入れ替わる中一貫してそのスタンスは貫かれていました。 コーチKが築き上げてきた実績からリクルーティングはしやすくなっていたはずですが、決して能力が高いだけの選手は取らず、まずアンセルフィッシュであり、バスケットボールIQが高そうな選手をリクルートしている印象が強く、ますますデュークとコーチKのバスケットボールに魅かれていきました。

そして、ご存じの通り1991年に初のナショナルチャンピオンになりました(NCAAトーナメント優勝)。 当時も録画放送でしたが、今と違ってインターネットでタイムリーに試合結果を見れることもなく、すっかりデュークファンになっていた私はライブ感覚で放映を観て大興奮したのを憶えています。

そして、好きが高じて一目現地で観てみたくなり、91-92年のシーズンに卒業旅行を兼ねて実際にデューク大に行きました。 大学のあるノースカロライナ州のダーラムという街は観光地でもなんでもありませんから、旅行本などに載っている訳もなく、全く情報がない中でアメリカ大使館を訪ね、ダーラムやデュークに関する資料を貰ったりして調べて、なんとか辿り着くことができました。

(interview 2013.3 片岡秀一/UPSET)

インタビュー:小泉明彦(neoうめや) その2

この記事の著者

片岡 秀一ゴールドスタンダード・ラボ特別編集員
1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。

宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。