バスケットボール欧州育成事情レポート 〜リトアニア編〜
突然ですが、筑波大学男子バスケットボール部監督の吉田健司氏のレポートを特別にお送りいたします。本記事は吉田氏のFacebookに投稿されていた内容を再編集したものです。今回の掲載にあたって快諾いただいた吉田氏に、この場を借りて改めて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
さて本題、リトアニアと聞いてまず思い浮かぶのは…あまりありませんね。しかしバスケットボールファンであればバスケットボールの強豪として認識しているかもしれません。そしてアルビダス・サボニス、ジードルナス・イルガスカス、サルナス・ヤシケビシウス、リーナス・クレイザといったNBAの選手を数多く輩出していることでも知られています。
彼らを筆頭に、これまでに7名の選手がNBAでプレイした経験があります。そして2014年2月現在のFIBA世界ランキングでは第4位につけています。さてそんなバスケットボール強国リトアニアの人口ですが、なんと僅か300万人ほどだということです。これだけ小さな国が、何故これほどまでに優秀な選手を輩出し、世界でも堂々と渡り合うことができるのか? 今回のレポートではそのヒントが隠されているはずです。
以下レポート本文
ビリニュスにある公立バスケットボールアカデミー(ビリニュススクール)のU13の練習を見学。196cmの生徒が筋力はないもののみんなと同じようにアウトサイドドライブをしているのはビックリ。身体の成長過程を経て将来は凄い選手になるのだろう。
リトアニアの国技はバスケットボール。ロシア帝国時代アメリカに移民した人が帝国から独立した際に帰国して広めたらしい。第二次世界大戦でドイツに占領されて、ソビエト連邦に吸収されてもバスケットボールに対する国民の意識は変わらなかった。90年代に再度独立して今がある。町の中にはアメリカのようにバスケットボールのコートが至る所にある。
リトアニアのバスケットボールアカデミーの調査、最後の訪問地カウナスへ移動。サボニススクールに訪問。ビリュニスのスクール2つとはまた違った方針で成り立っている。スクールの基本はプロ選手育成。ビジネスとして成り立っており、スクールの資金源となっている。
リトアニアのアカデミースクールはヨーロッパの一般的なクラブ内下部組織として属していない。あくまでもプロチームとアカデミーは別の会社。サボニスのように地元チームと提携しているところは稀。アカデミーの収入はスポンサー、生徒の月謝、寄付金、プロチームからの契約金等。一般家庭の平均的月収は2,500リタス(約10万円)。共働きをしないと厳しいらしい。アカデミーの月謝は公営スクールで70リタス(約2,800円)。プライベートになると年齢で変動。70リタスから200リタス(約8,000円)。チーム練習ウエア、シューズ等を買うとなると経済的に余裕のある家庭の子どもしかプライベートスクールは入れないとのこと。
リトアニアの学校(教育現場)の課外活動は文化系、体育系とあるが体育に専門競技の先生はいないため、レクリエーションレベルで終了。したがって競技性を高めたい生徒はスポーツアカデミーに入るしかない。アカデミーの存在価値が発生している。しかし教育の一環で課外活動があるため、生徒は基本はどちらも参加。アカデミー側は怪我をさせたくないため、タレント性のある生徒だけ、学校と契約してアカデミーに専念させている。
スペイン・ U14ミニコパでレアルマドリードに所属してMVPだったトマス・バルシウナス君、リトアニアに戻り、サボニスU14チームで試合出場。ここでも技術体力の違いを見せつけていました。試合はもちろん勝利。
追記
リトアニアの育成グループはU8(8歳以下)から、子どもの発育を考えて7歳からバスケットの指導をOKと考えている。U9からU18まで1年毎に年齢別グループを形成し、グループ毎1人のコーチが担当している。もちろん実力主義のため、実力のある生徒からトップ、セカンドとグループ分けをされている。各年齢毎に複数のグループが存在。いつ生徒の身長、技術が伸びるかわからないので、いつでも入れ替えが可能である。
年齢別練習カリキュラムはスクールとして持っており、コーチが生徒の実力、身体的状況に合わせてアレンジしている。8月下旬練習スタート、10月から試合が始まり、6月終了。平日個人・グループファンダメンタルの練習をして、週末の試合において生徒の技術向上を評価。年間試合は50-60試合。日本の場合に当てはめたら、中学1年生、2年生、3年生がそれぞれ別のチームに所属して、練習・試合をこなすのと同じ。日本の学校単位1チームの状況と個人の経験値が全く異なっていく。個人力が伸びるわけである。
番外編
カウナスの住宅街にある杉原記念館。杉原千畝(すぎはらちうね)。「日本のシンドラー」「正義の人」「命の外交官」 といわれている。第二次世界大戦中、ポーランド系ユダヤ人がナチドイツのから逃れるためにカウナス日本領事館に海外亡命を望み殺到した。杉原氏は政府からの命令を無視し、2,193人のビザを発給し、家族含め約6,000人の命を救った。その後リトアニアで亡くなったユダヤ人は20万人をこえた。記念館での展示物、ショート映画を見て感動。すごい日本人がリトアニアにいた。
吉田健司(Kenji Yoshida)
1959年生まれ。東京都出身。筑波大学男子バスケットボール部ヘッドコーチ。都立北園高校→筑波大学→東芝。引退後は社業に専念した後、スタッフ、アシスタントコーチを経て、ヘッドコーチに就任。1999-2000シーズンには、オールジャパンと日本リーグの2冠に導いた。2001年から2003年には全日本監督を務め、2004年に東芝を退社後、母校である筑波大学男子バスケットボール部の技術顧問に就任。2005年4月から現職。
この記事の著者
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1982年生まれ。埼玉県草加市出身。株式会社アップセット勤務の傍ら、ゴールドスタンダード・ラボの編集員として活動。クリニックのレポート、記事の執筆・企画・編集を担当する。クリニックなどの企画運営も多く手掛け、EURO Basketball Academy coaching Clinicの事務局も務める。一般社団法人 Next Big Pivot アソシエイトとして、バスケを通して世界を知る!シリーズ 第1回セルビア共和国編では、コーディネーターとして企画運営に携わりモデレーターも務めた。 J SPORTSでB.LEAGUE記事も連載中。
宮城クラブ(埼玉県クラブ連盟所属)ではチーム運営と共に競技に励んでいたが、2016年夏頃に引退。HCに就任。これまで、埼玉県国体予選優勝、関東選抜クラブ選手権準優勝、関東クラブ選手権出場、BONESCUP優勝などの戦績があるが、全国クラブ選手権での優勝を目標に、奮闘中。